1259.お子さんといっしょに散歩をしていらっしゃいますか?
2022.07.06 19:00|体験学習・経験・情の共有|

我が子との散歩には,とても大切な意味があるのです!
我が家の庭には,面積でいうと3畳くらいの家庭菜園があります。今の7月の季節で言えば,ミニトマト,ナス,キューリ,スイカなどを植え,毎日収穫ができています。スイカだけは,やっと雌花が受精し小さな身が3つほどついています。
こうした野菜に3時過ぎ頃,水をやっていると,小学校1年生と思われる男の子が,友達と2人で学校から帰ってきました。そして,こちらから
「こんにちは!」
と,あいさつをすると,もう一人の子は,
「こんにちは!」
とあいさつができるのですが,その子はできません。しかしその後,その男の子が,突然,次のようなことを言い出したのです。
◆C:「その赤くなっているの,それって何?」
「ミニトマトだよ。」

C:「採ってもいいの?」
「だめだよ。これは,おじさんが一生懸命育てているミニトマトだからね。」
どうやら,私の言っている意味が分からないような表情です。とにかくこのミニトマトが欲しいという感じです。
「そんなら,やればよいじゃないか。ミニトマトくらい。」
と思われるでしょうが,その時は,その子の表情に圧倒されていました。
★(この男の子は,自分の物と人の物との区別がつかない子なんだ。欲しいものは,何でももらえると思っているんだ。)
こんなことが頭に浮かんで来ていて,よりよい対応ができなかったのです。こうした子に出会うのは,何十年ぶりかの経験だったからです。
この時には,過去のこうした子の顔が,次から次へと浮かんできました。
(そういえば,あの子もこういう基本的なことを知らない子だったなあ? あの学校にもこういう子が,いたなあ?)
そんな子達の思い出が,どんどん思い出されてきました。そして,
(こういう子達は,どうやって,指導したのかなあ。)

などと考えている自分がありました。
この子は,私が水やりをさらに30分くらいやっている間にも,スケートボードにやっとやっと乗りながら3回ほど,私の様子を遠めに見て,行ったり来たりしました。
私は,この子が,善悪の判断がつかないまま,ミニトマトを採って行ってしまわないように,全部収穫をしました。
「どうして,その場でちょっと声をかけて,教えながらミニトマトをあげなかったの?」
等と思われると思いますが,この時は,この子と同じような行動をとっていた子の過去の子が次から次へと浮かんでいたのです。
その後は,毎日,朝に収穫をするようにしたので,その子はもう来なくなりました。この男の子への働きかけは,なくなってしまいました。
こうした子は,どうして, こうなってしまったのでしょうか?
私が担任した子達の例から,理由を考えてみましょう。
それは,親と一緒に散歩などの経験がない子なのです。
この子のことを私の親しい校長先生をされた先輩に会った時に話題にして,
「こんな子がいたんですよ。」
と話すと,即座に,
◆「親と散歩をしていないなあ。」

と言われました。私と全く同じ考えなのです。
この男の子の言動を“親と散歩をする”ということの意義から考えてみましょう!
【親と散歩をすることの意義】
親と散歩をするということの意義は,いろいろとあります。
意義(1) 親子ともども散歩を通して健康づくができる。
散歩は,当然体力づくりとなります。特に足腰が丈夫になります。毎日これを行っていると,子どもの成長も促進されます。
意義(2) 一緒に散歩することで,いろいろなことを語ったりして,嫌なことを消すことができる。
散歩の道々で,見たり聴いたりしたことやそれに付随したことなどから,親子の語らいができるのです。

また,学校であった楽しかったことを話すことで,親に喜んでもらったり,学校での嫌だったことなどを親に話すことで,自分のもやもやもすっきりとさせたりもできるのです。
つまり,「情の共有」ができるのです。「情の共有」については,
「26. 情の共有ができる体験で,人の心遣いのわかる優しい子が育ちます!」
「67. 家族で楽しい思い出作りをしましょう! 情の共有③」
などで詳しく説明をしています。合わせてご覧ください。
意義(3) 親との語らいで,親のすごさを改めて見付けることができる。
(ああ,お母さんは,そんな風に頑張っているんだ。)
(お父さんは,何でも知っているんだなあ。)

などと,親の頑張りや豊富な知識を聞くことで,しみじみと親のすごさを実感することができるのです。
意義(4) 散歩を通じて,周辺の自然や生き物,作物,人の動き,人の働きなどを観察し,知識を得る。
先程,話題にした男の子は,この4つ目のことがないので,当然知っていそうなことを知らないのです。
●ミニトマトの名前を知らない。小学校2年生では生活科などで,自分でも育てるのですが,1年生では朝顔程度だから,家庭で知らされていないのならば,名前すら知らないのです。
近くのスーパーの生鮮食料品コーナーに行ったことがないのかも知れません。あるいは,行っていたとしても,ただ通って行くだけだったのかもしれません。
散歩に行っていたら,
「ママ,あの赤いの,何て言うの? 食べられるの?」
などと聞いたり,農作業をしているお百姓さんに聞いたりするでしょうが,そうした機会がなかったのです。
●勝手に採ってもよいのか,いけないのかの区別もつけられないのです。作物をつくっている人の所有物を勝手に採ることは,泥棒なのです。散歩中に,
「あれ,欲しいなあ。」
などと子どもが言えば,
「あれはねえ,お百姓さんが作っているトマトなので,かってに採ってはいけないのよ。盗ったりしたら,泥棒になって,おまわりさんにつかまえられることになるのよ。
もし,優ちゃん(仮名)が,勝手に採って行ったら,お百姓さんも一生懸命作ったのに,もっていかれてがっかりするのよ。優ちゃんだって,誰かが優ちゃんの物を盗って行ったら悲しいでしょ。」

こんな会話が,繰り広げられたはずです。でも,散歩がないからこうした会話はないのです。
意義(5) 善悪の判断が,つけられる。
この子のように,散歩などをしていないと善悪の判断材料の情報が少ないのです。間違いを起こしてから,知るのはさせたくない経験です。
このように考えてくると,お子さんといっしょに散歩をすることは,
“散歩であっても,ただの散歩ではない”のです。
とても大切な意味があるのです!
散歩の効果をしっかりと理解して,散歩の効果を出すためにも,うんと我が子を散歩に連れ出しましょう!